インタビュー/特集

ゆりあげの「震災」を学ぼう!

お話を聞いた人

津波復興祈念資料館 閖上の記憶

語り部 丹野祐子さんと渡邊成一さん

「一番伝えたいのは命の大切さ」と語る丹野さん(写真左)。大切な記憶を整理するための場所として「閖上の記憶」という名前が付けられました。

お話を聞いた人

一般社団法人ふらむ名取

代表理事 格井直光さん

「最近は海外からお見えの方が増えています」と語る格井さん。震災語り部としての活動のほか、「閖上だより」を通じて様々な情報を発信しています。

震災を学び、伝えていく

ゆりあげの「震災」についてもっと知ろう。そんな想いから震災語り部団体の方ともお会いし、“震災を学び、伝えていく”ポイントを巡ってみました。

閖上プラザにある閖上中学校遺族会の慰霊碑

生きたかった命がある

2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた名取市閖上地区。閖上中学校では14名の生徒の尊い命が津波の犠牲になったと聞き、閖上中学校遺族会慰霊碑が設置されている閖上プラザを訪ねました。そこで感じたのは命の大切さです。「明日がくることは決して当たり前ではない。命の大切さを伝えていきたい」という閖上の記憶の語り部・丹野さんの言葉がしみ込んできました。

先人の教えを今に伝える震災メモリアル公園の碑

津波は閖上には来ない

閖上地区ではなぜ多くの犠牲者が出てしまったのでしょう。一般社団法人ふらむ名取の代表理事、格井さんは「先人の教訓が伝わらず、津波は閖上には来ないという神話ができてしまっていたのではないか」と語ります。震災メモリアル公園には昭和三陸地震教訓碑があります。一歩足を伸ばすと、あんどん松の近くには昭和三陸津波到達の碑も建っていました。ゆりあげ地区を歩いていると、忘れてはいけないこと、そして守っていかなければならないことがあると気づかされます。

震災前の堤防(左)と震災後の堤防(右)

震災前と震災後の堤防

東日本大震災の記憶と教訓を後世に伝承するために建てられた名取市震災復興伝承館。そのすぐそばには震災前の名取川の堤防が広がっていました。震災前の堤防と震災後の堤防。その高低差には驚かされます。ちょっと脱線してしまいますが、その昔、名取川の堤防で水中花火を見た記憶がよみがえります。地面と川面(かわも)の距離が近く、仙台湾にそそぎ出る河口のまちとして、多くのにぎわいが見られたのを思い出しました。

閖上地区を見守っている日和山

山並みだけは変わらない

最後に立ち寄ったのが日和山。地元を歩いていて、偶然すれ違った年配の方が声をかけてくれました。「道路も建物も、まちはすっかり変わってしまったが、遠くに見える山並みの風景だけは変わらない」。実際にゆりあげの震災の道をたどってみたら、そこには様々な出会いがあることを実感させられました。ゆりあげから日本中へ、そして世界中へ。命の大切さをもっと広げたいという想いで祈りを捧げました。

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津波復興祈念資料館 閖上の記憶

2012年春の開館以来、「震災の記憶」と「いのちの大切さ」を伝え続けています。語り部や資料映像などを通して、震災から生きてきた人々の力や勇気を見ることができます。有料の震災学習プログラム「閖上案内ガイド」や「語り部講話」のほか、毎月第一、第三日曜日の午後に開催している「語り部の会」(無料)も開いています。

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